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>> 久能山東照宮 |
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久能山は推古天皇の時(西暦600年頃)久能忠仁が初めて山を開き一寺を建て観音菩薩を安置し、補陀落山久能寺と称したとあり、久能山の名称もこれから起こったと思われます。
その後、僧行基をはじめ多くの名僧が相次いで来たり住み建物の数330坊も建ち並んで非常に隆盛であったが嘉禄年間(1225年頃)山麓の失火によって類焼し、昔の面影はなくなったのでありました。
永禄11年(1568年)武田信玄は久能山が要害であることを聞き久能寺を近くの北矢部(清水市、今の鉄舟寺)に移し山上に城砦を設け久能城と称しました。
天正10年(1582年)武田氏亡び、駿河の国一帯が徳川氏の所有するところとなったので久能山も自然徳川氏のものとなったのでした。
元和二年(1616年)4月17日家康公の薨後、久能城を廃止し、東照宮を建立し現在に至っています。 |
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二代将軍秀忠公の命により宰相頼将(よりまさ)卿(後の紀州家の祖頼宣卿)が総奉行となり中井大和守清次を大工棟梁として
元和2年5月着工、 同3年12月に至る僅か1年7ヶ月と云う短期間に造営されたもので、権現造、総漆塗、極彩色の社殿は日光東照宮より19年前に造られ、日光と比較すると地味ではありますが、彫刻、模様、組物等に桃山時代の技法も取り入れられた江戸初期の代表的建物として明治45年、国宝に指定されました。
尚、神廟(家康公のお墓所)、神庫、神楽殿、鼓楼、神厩(うまや) 、楼門等の諸建造物も昭和30年重要文化財にされています。
久能山東照宮の境内は、面積約65,000平方米(21,000余坪)、高さ海抜270m、境内全域は歴史的価値が高いとこらから、昭和34年6月に国の史跡に指定されています。 |
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久能山東照宮がかねてより実施していた御社殿の大改修が完成いたしました。
創建当時の極彩色きらびやかな色彩と江戸時代の技巧の極みが今の世に甦ります。この機会に先人の匠の技の素晴らしさと受け継がれる伝統をあなたの目でお確かめください。 |
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